こんにちは。
Footage訪問看護ステーション八尾店です。
今回は、訪問看護の日常(仕事)から離れて、休みの日の過ごし方について話します。

▪️とあるスタッフの日常

突然ですが、みなさんは髪を切ることをなんと言いますか?
「カット」「散髪」「髪の毛を切ってくる」「床屋に行ってくる」「美容室に行ってくる」などがあると思います。
私は長年、「散髪」と言ってました。
もちろん、青色・赤色・白色がクルクル回る散髪屋で1回千何百円の世界に行ってました。
ちなみに、このクルクル回る物をなんというか知っていますか?

      サインポールと言います。

▪️サインポールの由来

その由来は、諸説ありますが、有名なのが「赤は動脈、青は静脈、白は包帯」と表したという説が言われていますが、本当なのでしょうか?
動脈と静脈が発見されたのは、イギリスの解剖学者、医師であるウイリアム・ハーベーが「血液は心臓から出て、動脈経由で身体の各部を経て、静脈経由で再び心臓へ戻る」という血液循環説を発表したのは1628年です。
そのことから考えると、サインポールが最初に作られたとされる12世紀に血管を赤と青で分けた表現を使うことは歴史上考えられないという指摘があります。
よってサインポールの青色は静脈、赤色は動脈、白色は包帯という説は信憑性に乏しいと考えられるかもしれませんね。

信じるか信じないかは、あなた次第

さて、話を戻しますが、
街の散髪屋で髪を切った後の髭剃りが気持ち良く、ついつい寝てしまいませんか。
また、その後のマッサージがさらに気持ちいいんですよねー。😆

しかし、ここ数年は、美容室に行ってます。
言い方? もちろん「カット」ではなく、「散髪」と言い方は変わりませんが、、 笑!

▪️なぜ、散髪屋から美容室へ変えたのか。

散髪屋は前髪パッツンで「ザ・散髪」って感じでした。
あまりにも、散髪をしましたという感じがあったのと、髪型を変えたいのもあり美容室に変えました。
何よりも、料金がそんなに変わらないことも大きな理由のひとつです。

で、最近通っているお店がここです。
ネットで探し、料金手頃で、あまり緊張しなさそうな所がここに決めたポイントです。

そうなんです。美容室は緊張するんです。散髪屋の方が楽!
担当のスタッフは、愛想が良い女の子です。
指名した訳でなく、最初に行った時に髪を切ってくれたスタッフです。
次からは、人が変わると緊張するので、同じスタッフに切ってもらっています。
と言っても、今回でまだ3回目ですが!

こんな感じで、2ヶ月に1回程度で散髪しています。

←これが本日の主人公。

美容室は緊張する場所ですが、次に紹介する場所は、全く緊張せず、楽しい所です。

 

▪️ワクワクする場所 飛行場

八尾空港

じゃーん!! 飛行場です。   cleared for takeoff

飛行機を見るのが好きで、離陸や着陸をする所をよく見に行きます。
また、出張などで飛行機に乗るときはワクワクし、街を歩いていて、飛行機の音がするとついつい見上げてしまいます。
八尾市内上空も飛行機が飛んでいます。

ここ八尾市には、八尾空港があります。
まだ一回しか行ったことはないですが、飛行機を見るのに良いスポットがある所を知っていれば誰か教えてくださーい(画像は八尾空港ではなく、空港のイメージです)。

伊丹空港

大阪といえば伊丹空港があり、アメリカのトランプ大統領がエアーフォースワン(大統領専用機)で来日した所でもあります(大抵は、羽田を利用するのですが)。
その伊丹空港には、デートスポットとして有名な所があります。
全国にも有名な場所はありますが、伊丹空港に着陸する飛行機が通過するスポットで、千曲川堤防がそのポイントです。

手を伸ばせば飛行機の腹に触れるんじゃないかというぐらい、自分の真上を飛行機が飛んできます。

昔は、滑走路と並行に走る道路があり、その所で車を待機させ「キーン」と口で言いながら、離陸する飛行機と勝負をして遊んでいました。 もちろん負けますが。

浜松空軍基地

大阪から離れますが、うなぎを食べに行った際には静岡県の浜松空軍基地にも行きました。
ここでは、基地内でランニングをする自衛隊員さんやF15で飛行訓練をされていました。
自衛隊機のタッチアンドゴー(滑走路に着陸するのではなく、タイヤをつけてすぐに離陸すること)を始めて見たのは、この基地でした。
日々厳しい訓練をされている自衛隊員が、日夜我が国を守り平和を保ってくれています。

      本当に感謝しありません。

しかし、一見平和に見える日本ですが、果たして平和と言えるのでしょうか?
いきなり難しい話に入りましたが、、。どう思われますか?
平和の捉え方は人それぞれでしょうが、日本は平和な国とは言えない状態がずーーーっと続いています。

そんなことないのでは? と思われる方が大半だと思います。
実際に戦争は起きていなし、飢え死にする人はほとんどいないし、夜中でも街を一人で歩けるし、物を落としたら大概戻ってきます。 核家族が進んでも、一家団欒もあります。

そんな一家団欒が40~50年もできずにいる家族があるのをご存知でしょうか?
それも、その人たちは何も悪いことをしていないのに、ある日突然起こったのです。

▪️拉致被害についての講演を拝聴

社会問題ですが、拉致被害者家族です。
ある日突然、家族が拉致をされて北朝鮮に連れ去られてしまいました。
拉致が起きてから家族が会えない日々が、40~50年続いています。
そんな境遇のお一人でもある、飯塚耕一郎さんの講演をこの2月に拝聴してきました。

飯塚耕一郎さんは、大人になって初めて育ての親が実の母親でないこと、実の母親が北朝鮮に拉致をされたことを知りました。
その経緯は、耕一郎さんが1歳のときに母親がいなくなり、母親の兄に引き取られ育ちました。
当然、1歳の頃からですので、物心がついた頃には母親の兄夫婦を親と思い育ちましたので、そもそも田口八重子(実の母親)さんという存在を知る由もありませんでした。

しかし、社会人になり、パスポートが必要となった時に戸籍謄本を取得した際、そこの自分の母親の欄のところに【田口八重子】という全く本人が知らない女性の名前が書かれていましたので、衝撃を受けることとなりました。
そして、そのことを父親(実の母親の兄)に尋ね、北朝鮮に拉致をされ帰国できていないことを告げられ、事実を知ることとなりました。

講演では、その間の兄夫婦の苦悩や救出に向けての活動の苦悩などを話されていました。
その中には、「母」という言い方に、なかなかすごく違和感があってですね、いつも「八重子さん」「八重子さん」という言い方になってしまいます。
本来ですと、うそでもいいから「母親を助けるために」というふうに言うべきなんでしょうけれども、なかなかそれって難しいなと思うし、どうしても母親という切り口で彼女に近づけないというのが、本当にずっと続いている状況なわけです。
ですので、母が生きているうちに日本に帰ってきて、母というか八重子さんが生きているうちに日本に帰ってきてもらって、直接、私の声で、「お母さん」ということを伝えたいと思います。と、苦悩を語られる場面もありました。

そして最後には、「政府への叱咤激励というところで、メールやFAXをしたりとか、直接お電話でも結構ですので、言っていただきたいと思います。 特にですね、政府がちょっとその弱腰になったりとか間違ったときに、日本政府は本当に拉致問題を解決する気があるのかというところを、そのままご連絡いただければ、彼らは仕事として記録を残さなきゃいけないわけですし、またそれを世論として、後ろ支えとして進めていきますので、皆様から、ぜひとも、引き続き、この問題長いですけども、ご理解をいただいた上で、ご協力いただければなと思っております。」と、支援を口にされていました。

▪️大阪マラソンに救護ボランティアとして参加

最後に大阪マラソンの話をします。コロナ禍でしばらく中止になっていましたが、今年は開催されました。
今回で、第11回になります。東京マラソンの◯回には負けますが、大阪マラソンは10年以上もの大会になっているんですね。

42.195kmは長ーーーーーーーい。と言っても、走ったわけではありません。
そんな体力や走力は持ち合わせていません。😅

大会を支える裏方で、ボランティアとしての参加でした。大会を成功させるには色んな人の支援があって成り立っています。
例えば、沿道でランナーを応援することやランナー配布物(記念品などの)の袋つめ、受付、ランナーの給水、ランナー荷物係など多岐にわたります。そのボランティアを個人で申し込んだり団体で申し込んだりして協力されています。
空き時間に周囲を見て回ると、ゴール後のランナーを拍手で迎え盛り上げたり、ランナーの荷物(自宅へ帰るための荷物など)を管理したりしている多くの人がおり、たくさんの人に支えらているんだなあと感じました。

そして私は、大阪府看護協会から救護ボランティアとして参加しました。
配置場所や役割も色々あり、救護所で待機しそこに来たランナーを救護する係、沿道などを巡回し助けを必要としているランナーを近くの救護所へとつなげる役割や、残念ながら制限時間内に◯kmを通過できずマラソンを中断せざるを得ない人をバスに収容し、その体調管理をする係など、救護と一言でいっても、これも色々とあります。

その中で、私は、ゴール後の救護所担当でした。
スタートとゴールが大体同じ所であり、そのエリアはランナーと関係者しか入れないように制限されています。
そのエリア内で、ゴール後に体調を崩したりすることが多く、ゴールしてからそのエリア外に出るまでのランナーを担当していました。

そのエリア内では3ヶ所の救護所があり、そのうちの一ヶ所を担当し救護に当たっていました。
救護所には、医師・看護師はもちろん、トレーナーや通訳係、消防隊員など数多くの職種の方たちでランナーをサポートしています。

担当していた所での救護の多くは、足の痙攣や低体温症で、足の痙攣はトレーナがマッサージをし、足を温めたりして対応していました。低体温症は、ひたすら温め、ある程度動けるようになったら帰っていただきます。あまりにも長く横になっていると却って動けなくなるからです。

そのような中、幸いにも、全体で心肺停止となる事例はなく、大会は終えられました。

▪️最後に

今回、紹介したことをライフワークとして取り組んだり、趣味を楽しんだりして過ごしています。

このように、私の生活は、直接的には美容師さん、間接的にはパイロット・空港関係者や自衛隊さんといった色んな人に支えられているんだということがわかります。
また、社会問題のひとつである拉致問題があり、このような問題にも日本人のひとりとして目を向けることも必要と考えています。
そして、訪問看護師としては、地域の人々や地域で活躍しておられる医療従事者の方々と共に支えていると思っています。
言わば、私たちの社会は色んな人に支えられており、成り立っているんだということがわかります。
もちろん、訪問看護以外にも社会貢献ができることは色々とありますが、直接、人を支えるというのが訪問看護といえるのではないでしょうか。

そのような地域を支える一助としての訪問看護ステーションで働きませんか?
あなたの地域にはいっぱいのステーションがありますから、あなたにあった所であなたの力を発揮することが地域貢献、社会貢献につながると考えています。

ほんの一部でありますが、私の日常でした。

以上で、おしまいです。
次回もお読みくだされば嬉しいです。